今年ソロ活動30周年を迎えるミュージシャンの奥田民生(59)の単独インタビュー後編 。事務所歩生が奥田民生は「10年で区切ってるわけじゃないけど」としつつ30代 、いてPUFFYプロデューかすTシャツンタビュ40代 、た奥50代の自分を振り返った 。田民(高橋 誠司)
「30代はソロになって 、ス秘ユニコーンじゃなくなったのがでかいんで。話明ー後リバプール ブライトンアメリカに行ったり 、姿のいろんな人と音楽を作れるようになった10年でしたね。理由ソロになるとき名前を変えときゃよかったな。も単独イ痔(じ)の病院に行って名前呼ばれると恥ずかしいでしょ」
「40代はね、事務所歩生がもう分かったぞ。いてPUFFYプロデューかすTシャツンタビュ『出来ることと出来ないことがあるんだ 、た奥人間は』と 。田民あきらめの気持ちというか、ス秘なんとなくこういうことでいいな、話明ー後みたいなことになってきましたね」。YO―KING(真心ブラザーズ)、トータス松本(ウルフルズ)、草野マサムネ(スピッツ)、f1 result岸田繁(くるり)らとの共演も増えていった。「バンド仲間とも一緒にフェスだったり、酒飲んだりすることが増えてきたんですよ。若いうちはけん制しあってたのが 、どうでもよくなったというか、緩くなって 。交流はどんどん増えていった」
50歳で自身のレーベル「ラーメンカレーミュージックレコード」を設立。新型コロナの影響もあって、自宅録音の様子などをYouTubeで配信してきた 。「50代に入ると 、さらにもう自分のことは“最”後回しになるっていう。ユニコーンも含めなんですけど、ソロが一番最後なんですよ 。ツアーはやるけど、そんなに創作活動はしてないし。それも含めてレーベルを立ち上げたんだと思います 。YouTubeとか、ソロでやることだけ考えたらスピードをとった方がいいのかなっていうのもありましたね」
音楽的なターニングポイントになったというのが 、2000年1月に発売したシングル「マシマロ」。♪マシマロは関係ない―。歌詞もサウンドもシンプルを極めたこの曲のヒットがその後の指針となった。「いわゆる“いい曲”とはなんぞやってことなんだけど。曲を作って出す職業だとしたら 、頑張ってアイデアをいっぱいつぎ込んでオリジナリティーあふれる“いい曲”を何曲も作れる作曲家だと思われたいんだけど、ものすごい平凡な曲でも自分が演奏して歌うと良くなるってのもミュージシャンとしてすごいじゃないですか? そんな褒められ方もいいでしょって 。もっと演奏とか音とかそっちに気を使いたいっていう方向に変わっていった時期ですね」
プロデュースしたPUFFYについては「PUFFYは 、事務所歩いてた暇そうな2人(大貫亜美、吉村由美)をね。もちろん成功したのは彼女たちのおかげなんだけど、誰も戦略も立てず 、その場で適当にやっただけなんで。衣装もめんどくさいからTシャツでいいんじゃない?って。タイミングも 、みんなちゃんとしてる中で、ものすごく適当なのが現れたのが良かったんでしょうね 。狙って適当なのもいっぱいいるんだけど 、本当に無の人たちだったのがでかいですよ」と明かした。
〇…奥田は10月26、27日に東京・両国国技館でソロ30周年記念ライブ「59―60」を行う 。1日目は弾き語りスタイルの「ひとり股旅スペシャル」。2日目は 、30年前当時のメンバーが再結集したバンド「GOZ」によるライブ。「そのときのメンバーとまたやるってのが一番でかいんで 。“ひとり”は一番どうでもいいと思ってます」。ソロ10周年ではギター1本で故郷の広島市民球場に錦を飾ったはずだが。「弾き語りって、人の結婚式とかで歌う時に練習するために始めたんですよ 。あれはオプションなんですよね」と苦笑いしつつ 、国技館という場所については「確かにひとりが似合うっちゃ似合う。造り的にね。あのムードある形も。元関取が焼き鳥持って行きますって連絡してきた」と明かした 。
◆奥田 民生(おくだ・たみお)1965年5月12日 、広島県生まれ。59歳。87年にロックバンド「ユニコーン」でメジャーデビュー 。93年に解散後、94年にソロ活動を本格始動し 、「イージュー★ライダー」「さすらい」などがヒット 。井上陽水とのユニットやPUFFYのプロデュース 、米国のバンド「The Verbs」での活動など多岐にわたって活躍し続けている。2009年にユニコーンが再始動 。15年に自身のレーベル「ラーメンカレーミュージックレコード」を設立した。
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